年末年始に読んだ本①「予告された殺人の記録」

いくら仕事以外の時間は娘と息子を交互に抱っこをして過ごしているいる毎日とはいえ、年末年始はさすがに読書をする時間もありました。


そんなわけで、ひさしぶりにガルシアマルケスの「予告された殺人の記録(新潮文庫)」を読みました。


この小説に出会ったのはかれこれ何年前か数えるのも嫌になるくらい昔のことですが、高校時代にガルシアマルケスというすごい小説家がいるということを知って手に取ったのが最初だった気がします。


ガルシアマルケスといえば言わずもがなの南米の超有名作家で、出身国はコロンビアだそうです。コロンビア出身は今調べました(^_^;)


浅学な私はブラジル以外はコロンビアもアルゼンチンもチリもマリもどういったカラーなのか区別をつけられませんが、とにかくブラジルっぽくない(ポルトガル語っぽくない)ということと雪が降らなそうということからコロンビアなのは必然かとも思いましたが、コロンビアが雪が降るかどうかもわかりません。


このまま浅学を披露していてもどうしようもないので出身国の話はこれで終わりにさせていただきますが、超有名作家ですのでお札とかにもなっているかもしれません(適当で申し訳ございません。そしてこの件については調べません(^_^;))。


話を元に戻しますと、手に取ったわけです。高校時代に。


ガルシアマルケスといえば「百年の孤独」が圧倒的に有名で、それは村上春樹でいうところの「ハードボイルドワンダーランド」か「ねじまき鳥」くらいの作品なのですが、では手に取ったのがなぜ「予告された殺人の記録」だったのかというと話は簡単、ガルシアマルケスの作品で文庫化されているのはこれだけだったからです。


そして「百年の孤独」は未だに文庫化されていません。


これは日本出版業界の7不思議の一つとして数えられているほどの謎なのですが(ウソです(^_^;))、それは冗談としてもヤフー知恵袋で質問としてあげられるくらいには謎となっているようです。


私が高校生当時(1990年代後半)はもちろんAmazonもなく、近所に知遊堂もないという状況でしたので、新潟で翻訳の単行本である「百年の孤独」を入手するのは困難を極めていました(でも紀伊国屋とかなら普通にあったのかもしれません)。


ですので野島書店で「予告された殺人の記録」を見つけた時は歓喜し、そのまますぐに購入して帰路についたのでした。


つまらない昔話はこのくらいにして「予告された殺人の記録」の話をさせていただきますと、内容はその名の通りで「予告された殺人の記録」です。


私の印象では「予告された~」は「百年の孤独」とかなり似た構成ですが(特にラストの変調から鮮烈なシーンに至るところが)、前者は淡々とした語り口で進む物語ですが後者は若干暴力的でエロティックです。


「百年の孤独」の特徴は「マジックリアリズム」という手法が使われていることで、これは物語中の随所で見られ、全体のスパイスになっています。


ですが「予告された~」のほうにはその手法がほとんど見られず、淡々とした語り口で物語が進んでいき、そこから一気に変調させてラストで鮮烈なシーンに至るわけですが、淡々とした語り口からの変調それ自体が「マジックリアリズム」を生み出している気もします。


つまり「百年の孤独」では「マジックリアリズム」をスパイスとして使用していた手法とすると、「予告された~」では全体としての「マジックリアリズム」を生み出すために淡々とした語り口で進めたということになります。


そんな屁理屈はどうでもいいですね(^_^;)


若い頃「予告された~」を読んで衝撃を受けましたし、今回もやはり同様の衝撃を受けました。


ですが今は「百年の孤独」がガルシアマルケスの代表作であることに同意せざるを得ません。


それは「予告された~」が優れているとはいえ、ただのショートスプリントの怪物のようにも見えるからです。


それが悪いわけでは当然ありません。


悪いのはショートスプリントの力に評価を与えることができなくなった私のほうかもしれません。


もちろん長編と短編を比べるという無謀が行われること自体が間違いなのですが、短距離走が少し苦手になったのを発見することになった正月でした。

はなひ堂ブログ 2018年1月9日