ワルの育児術

こんにちは。
はなひ堂新井です。

今日は娘に起こされて朝から散歩へ駆り出されました。

娘は毎朝ギャーギャー泣いて我々を起こしてくれるのですが、私は修行と思って素直に起きることにしています。

ただ、妻は機嫌が悪い時、「うるせー、○○(以下略)」と1歳児にわめき散らすのですから母親とはすごいものです。

基本的に妻は娘の悪事を叱りつつ、自分が不機嫌なことも隠すことがないので、時には自分の機嫌も込みで娘と接しています。

私は親たるものは自分の機嫌とは関係なく理性的に接して…という人工的な親像をもって娘に接していたのですが、彼女は自分の人間味も含めて1歳児に接しています。

私は最初、妻のその姿勢に驚いていましたが(ちなみに妻は生後10ヵ月くらいから娘とケンカをしていました(^_^;))、これはこれでアリなのかな、否、むしろ親とはこうあるべきなのではないかと感じ始めています。

なぜならば、妻は時おり言葉の話せない娘と流暢にコミュニケーションを取っているように見えることがあるからです。

これは妻が娘のパーソナリティを認め、そして娘もまた妻のパーソナリティを認めているからに他なりません。

1歳児が?思った以上にできる子?と思いつつも私の中では妙な焦りが生まれてもいます。

こんな早くに妻は娘から人格を認められているのに、私は未だに抱っこ要員としてしか思われていないのではないか?私のみが蚊帳の外かもしれないという焦り。


私も若かりし頃、誰もが一度は読んだことのあるであろう「ワルのモテ技術」のような本を読んでいた時期がありました。

詳細な内容は思い出せませんが、その中の一つに「人畜無害な奴になるな!」みたいな内容があった記憶がぼんやりとあります。


もしかして私は娘に「人畜無害な奴」と思われているのではないか?

あいつはいつも抱っこをせがめば抱っこしてくれるし、泣けば何らかの対応をしてくれるチョロイ奴。

その一方、妻は危険だが、たまに優しい魅力的な人間として映っているのではないか?

その結果、妻と娘との言語を介さない流暢なコミュニケーションが生まれていると考えると合点がいきます。

妻は自分勝手にふるまっているように見えて、計算高く娘のハートを掴んでいたのですね。

10年の時を経て、やっとあの本の内容を実感として理解することができた気がします。

マジであいつワルだな!


そんなわけで本日は上越市で出張買取でした。

行く途中に高速道路を乗り間違えて、大幅な時間のロス。

なんとかギリギリ予定の時間には間に合いましたが、同行した弟に怒られる始末。

私の場合はワルになるよりも先に、この天然を直さなければいけません。


本日はたくさんの本をお売りいただき、ありがとうございました!

はなひ堂ブログ 2016年10月22日